マネキンとは

マネキンが気になる件

普段何気なくデパートに居るマネキン。店内にどれだけのマネキンが並んでいても、その売場自体に用が無ければ目もくれない事でしょう。仮に注目したとしても着せられた服にしか目がいかないので、マネキン本体の事は印象に残らないでしょう。しかしこのマネキンよくよく見ると結構面白いんですよ。妙に不自然なポーズだったり、激しい表情をしていたり、やたら腹筋割れていたり…。靴下屋などには つま先~ふくらはぎだけのマネキンが綺麗に並んでいることも。色とりどりの靴下を履いた足が壁から沢山生えてる上に、つま先立ちみたいな微妙な曲がり方をしてる…と思って見るとじわじわ来ます。そんな面白い存在であるマネキン。このサイトではマネキンに関する基本知識や、マネキンが大活躍する映像作品についてまとめてみました。マネキンに興味がある方必見です。

マネキン基本知識

マネキン(英語で書くと mannequin)は、言わずと知れた衣服やファッションの陳列に用いる人体を模した人形である。マヌカン人形と、あまり聞き慣れない呼ばれ方をする場合もあるようです。「マネキン」、mannequinという語は、中世のオランダ語で「人間」を意味するmanの愛称形であるmannekijnに由来してるとかしてないとか。

フランス語で「モデル」を指すmannequin(マヌカン)の英語読みに由来し、「招き猫」とかけて造語された業界用語とされる。 さらに、この「マヌカン」はオランダ語で「小人」を指すmanikinに由来している。

職業安定法施行規則において「モデル又はマネキン」は、「専門的な商品知識及び宣伝技能を有し、店頭、展示会等において相対する顧客の購買意欲をそそり、販売の促進に資するために各種商品の説明、実演等の宣伝の業務(この業務に付随した販売の業務を含む。)を行う者」と規定されている。有料職業紹介事業所の一形態として、店頭販売員の職業紹介に特化した「マネキン紹介事業」(マネキン紹介所)があり、「正式な職種名」として事業所や業界団体の名称として使われている。

日本における「マネキン」の語は、マネキン人形を指すために用いられたのが早く、1925年(大正14年)3月には初のマネキン人形専業メーカー「島津マネキン」(京都府京都市)が創業している。モデル兼販売員としての「マネキン」は、関東大震災の5年後で、昭和天皇の即位の大礼が行われた1928年(昭和3年)3月に東京府東京市・上野で開催された大礼記念国産振興東京博覧会において、高島屋呉服店が「マネキン・ガール」を登場させたのがはじまりである。

服飾・雑貨販売のマネキン

ヨーロッパの会員制婦人服のブティックにおいては産油国などの富裕層むけに、社員として、自社ブランドのモデルを雇用している。彼女らは「ハウスマヌカン」(これは英語由来のハウスと、フランス語由来のマヌカンを組み合わせた造語)と呼ばれており、英仏では定着した呼称である。これらの「ハウスマヌカン」をかかえる店舗の販売形式は、「ハウスマヌカン」がファションショー様に自店舗の洋服をきて矢継ぎ早に登場する。これを1人(もしくは一組)の顧客が観客として見ており、出てくる「ハウスマヌカン」つまりモデルに対し「Oui」「Non」と次々に指定していく。さいごに「Oui」の洋服のみが顧客のもとに届けられる仕組みである。一回の購入単価は当然非常に高額である。

日本にはこれがやや歪曲してつたわって、低価格の婦人服のブティックの店員をすべて「ハウスマヌカン」とよんでいた時期があったが、当然、英仏では通じない。

マネキンの歴史

黎明期
世界最古のマネキンは、エジプトの王墓から発掘された、等身大の木彫りの人形(王の代わりに衣装の仮仕立てに用いたとされる)という説があるらしいです。16世紀(14世紀初めに既にあったという説もある)のフランスには、商業で衣服の宣伝用にミニチュア版の衣服を着せる目的でビスク・ドールが使われていた。その後、より効果を追求した結果、19世紀頃に、現在のような等身大サイズのマネキン人形にとって代わることになった。ただし、過渡期は籐製やブリキ製の立体ディスプレイ・ハンガーの様相であった。
近代
20世紀にはいると、いくつかのマネキン人形製造会社がパリに設立され、工業製品としての蝋を使用したマネキン人形が生産されるようになった。1911年には肩関節から腕を取り外し可能な、はじめて衣服の完全な脱着ができる画期的なマネキン人形が発表される。以後、腕と頭部は蝋製で胴体のみ木製フレームに綿入れのキルティングをしたものが主流となった。(縫製に用いる人台に似た形状の胴)しかし、蝋製のマネキン人形は、ショーウィンドーの照明の熱で溶けたり、重量が重すぎて搬入や移動が困難で、その際に壊れることも多かった。そこで、素材を改良したマネキンが1920年代に開発された。この軽量な素材は多彩な表現を可能にし、戦前を代表するアールデコスタイルを持つ、美しくも革新的なマネキン人形を生み出した。また、ファイバー製も登場した。美術においてはジョルジョ・デ・キリコやカルロ・カッラ等の形而上絵画に象徴的モチーフとして見られるようになった。日本ではフランス語のマヌカンのままだと「客を招かん(マヌカン)」と客商売として縁起が悪いとして、マネキン「客を招き(マネキン)」が用いられるようになったそうです。ここに来てまさかのダジャレですよwww
戦前・戦中(日本)
まだ着物中心だった時期は、菊人形や見世物人形に着せて展示していた。その後、三越、日本橋高島屋がフランスからマネキンを輸入したが、まだ高価だったため普及には至らなかった。その後、1925年に、当時蝋製マネキンの修理を行っていた島津製作所の島津良蔵が、洋装マネキン制作に着手。1928年には、蝋ではなくファイバー(楮製紙)でできたマネキンも開発され、安価な供給が可能となり、国産マネキンが普及していった。戦時中は製造原料が軍部の統制で入手困難となり、石膏ですべてを造られたマネキンが製造されるようになる。次第に、世界規模で戦争が激しくなると、その生産は完全に停止する。
戦後(日本)
戦後には、1950年代から新素材のFRP製のマネキン人形が造られ、その量産化に拍車をかける。丈夫で軽量な素材は世界中に広まり、現在も使用されている。1968年には渋谷西武百貨店が、当時人気を博していた歌手・ツイッギーをモデルとしたマネキンを、イギリスのアデル社から輸入。追随する形で、特徴あるマネキンの一部輸入を始める企業も出てきた。1970年代からは、人体をそのまま型取りできる技術も導入されるようになり、更にリアリティのあるマネキン人形の表現が可能になった。1988年にはヤマトマネキンが従来の典型的な(一部で差別的意図を疑われる)黒人のマネキン人形を制作、同社や市場関係者は差別的意図を全面否定するが、後に外交問題に発展した。この事件はちびくろサンボ絶版問題と前後して発生したものである。従来は若者をモデルとしたマネキン人形のみが制作される傾向にあったが、昨今では高齢社会の到来を受けて60歳代~70歳代の平均体型をマネキン人形化したものも制作されている。また体型についても、従来は女性ならば9号サイズのものが多かったが、昨今では13号サイズのマネキン人形なども需要があるという。

日本最大級のマネキン

お店で見かけるマネキンといえば人間と同じ~若干小さめくらいのサイズが多いですね。しかしその通常サイズの型にはまりきらない超特大マネキンが展示されている場所があるんです。その場所というのは名古屋!まさかの日本国内です!!名古屋の名鉄百貨店ヤング館。そこに超巨大マネキンの"ナナちゃん人形"は居るのです。あまりに巨大なそれは目印に最適で、名古屋駅の待ち合わせ場所として有名なんだそうです。その巨大マネキンのパイオニア、ナナちゃんこそが世界で最も大きいとされているマネキンなのです。ナナちゃんは1973年(昭和48年)、名鉄百貨店「セブン館」の1周年を記念して設置されたそうです。意外と年寄りなんですね。

プロフィールでは、昭和48年4月28日生まれ、身長610cm、体重600kg、スリーサイズはバスト207cm、ウエスト180cm、ヒップ215cmとなっています。素材はFRP硬質塩ビ樹脂。名前の由来は、ヤング館の旧称であるセブン館の「7」から。名鉄百貨店の広報部員である。設置元の名鉄百貨店も含め、当初はスイス生まれ(スイスシュレッピー社製「スカイスクレーパー」。後にイタリアの会社に統合される)としていたが、当時ナナちゃん人形を買い付けた人物の話により、実際はシュレッピー社とライセンス契約を結んでいた東京のマネキン会社ロア社(1994年経営破綻)の製品で、長野県高遠町(現:伊那市高遠町)で製造されたものであることが明らかになった。スイス製になった経緯は「マネキンが目立ったらいいなと思っただけで、製造元にはあまり関心がなかったから」という安直なものであったという。今後、名鉄百貨店の公式サイトでも日本製に改めるとしている。

季節によって様々な服や水着に着替え、行政イベントや、ユニフォーム姿で中日ドラゴンズの応援媒体としても活躍し、着替えた後の姿が地元マスコミで報道される事もある。イベントなどのない場合に無着衣のこともある。ある年の夏のクリアランスセールの際は、顎がおヘソの辺りまで下がる程に口を大きく開き、お得な価格に驚く様を表現していた。またある年のオタフククリアランスセールの際はホッペが膨らみオタフク顔になった事もあり、もはや着替えにとどまらない変身を遂げている。

衣装は名鉄百貨店のキャンペーンに関連したもの、あるいは公共の啓蒙活動など社会貢献につながるものに限っており、他からの着せ替え依頼についてはすべて断っていたが2012年4月に「親しまれてきたキャラクター像を壊さないこと」を条件に、一般企業広告の着せ替え(電通名鉄コミュニケーションズ扱い)を解禁した 。

2006年(平成18年)10月5日深夜、名鉄百貨店セブン館と名鉄バスターミナルビル前の歩行者通路の一体化工事と名鉄バスセンターと各館連絡通路工事のため、一時的にナナちゃん人形は撤去された。その間、ナナちゃん人形の居場所は秘密であったが、2007年(平成19年)2月16日に愛知芸術文化センターにお目見えし、3月11日まで展示された。そして、2007年(平成19年)3月18日の名鉄百貨店全館グランドオープン時に、以前の場所から北側に約3メートル、東側に約1.5メートル離れた場所、つまり若干JR名古屋駅に近づいた場所に再設置された。

2010年(平成22年)4月10日から、「なでしこナナブログ」を開始。手足となるチビナナがブログ更新に活躍している模様。 4月15日のブログでは「普段動きまわっているときの小さい私」を紹介しているため、「チビナナ」が分身なのか同一の存在なのかは不明である。

2010年(平成22年)9月10日 - 24日の間、「コカ・コーラ セントラル ジャパン」が行った東海地方限定「でら!ジョージア」プロジェクトの一環で衣装に設置されたスピーカーを通して全19種類のメッセージを37歳にして初めてしゃべった。

2011年(平成23年)6月1日から7日まで、愛知県の特定検診 啓発キャンペーンとして、キャンペーン中メタボリックシンドロームの体形、ウエスト180cmから285cmに変更。

2011年(平成23年)11月2日に本館「メゾン・ドゥ・ナナ」のマスコットキャラクターとして、6分の1サイズのナナちゃん人形がお披露目された。名前は一般公募で「ミナちゃん」と名付けられた。